出産の記録 -2ページ目

入院 その2

入院してからバタバタしていたが、ベットで横になっているうちに

気持ちも落ち着いてきた。

私が入院した時、陣痛室にすでに1人いて、私のすぐ後にもう1人入ってきた。

これで陣痛室満員だ。

最初に入った人が、「痛いよ~」と言いながらずっと苦しんでる。

相変わらず私には陣痛がこないので、「陣痛」の痛みは分らない。

彼女はまるで子どものように「痛いよ~、痛いよ~」と弱々しく泣きそうな声で囁く。

思わず「がんばって」と励ましたくなる。

全く知らない人だけど同じ陣痛室にいるというだけで戦友のような気分になってしまう(笑)

そんなに痛いのかなぁ。。。ドキドキ。。。(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

ゴハンの時間になった。

看護師さんがベットにテーブルを置いてくれた。。が、小さな穴があいている。

何故?

不思議そうにテーブルを見つめる私に気づいた看護師さんが言った・・・

「コレは、今までの人達が戦った跡よ!フフフフ」

テーブルに穴が開いちゃうほどの力で殴るってすごいよなぁ。。。

それだけののことをしないと耐えられない痛みって・・・?(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

出産は戦いなんだなぁ・・・女性はこうして強くなるのかしら?

さっきまで「痛いよ~」と言い続けていた彼女は昼前に分娩室へ行った。

そして、後から入ってきた彼女も「もう頭出てるじゃない(゚□゚;)アワワ」と言われ

分娩室へ・・・

新しい人もどんどん陣痛室に入ってくるが、私より先に分娩室へ入っていく。

さすがに私にも焦りが出てきた。陣痛室の主のようになってしまってたから(笑)

夜中、陣痛室が一杯になったらしく一番陣痛が進んでいない私が病室へ移動させられた。

でも、これはキツかった。

病室はもう出産が終わった人ばかり(4人部屋)。しかも、母子同室。
朝から晩まで赤ちゃんの泣き声が止まない。

こっちは陣痛もこなくてお腹が大きいまま不安で仕方ないのに夜も眠れない。

それに陣痛室は付き添いOKだけど病室は付き添いは禁止。

とても心細くて「どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないの?」

とベットで泣いてしまった (´∩`。)グスン

破水したのが土曜日の明け方だったというのもツイてなかった_| ̄|○

その病院は、土日は何か緊急のことがない限り処置はしないらしい。
               ↑↑          
           (母子の命が危険だと判断した時)

促進剤も使わないし、手術もしない。

内診も入院の時に助産師さんがしただけでヒゲ先生の診察は無し。

感染症防止のための薬だけを飲んで過ごした。

ヒゲ先生、土曜の午前中にやってきて

「あれ?破水しちゃった?( ゚д゚)アチャー・・」と言った。

実は、その数日前、検診の際に子宮口を柔らかくするお薬(座薬みたいなやつ)

とやらを入れていたのだ。

ヒゲ先生の表情を見て、私はコレが原因じゃないのか?と思ってしまった。
実際、この薬と破水は関係ないらしい・・・obgyn0331さんに教えてもらいました

一体、いつになったら産まれるんだろう・・・

でも、この時はまだ、私はお産の本当の大変さを分っていなかった。。。

入院

破水した私は両親に付き添われ病院へ。。。

この時、「陣痛」という未知の痛みに対しての恐怖で体の震えが止まらない。

(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

私は破水したらすぐに陣痛が来て赤ちゃんが産まれるものだと思っていた。

それに、陣痛がきたら歩くことも出来ないぐらいの痛みだろうとも思っていた。

だから、とにかく早く病院に行かないと・・・とかなり焦っていた。

そして、病院に着いたらすぐに車椅子やストレッチャーで

運ばれるものだろう
と思っていた。

もちろん、実際は違います(^-^;

実際は、病院に着いたら看護師さんが慌てる様子もなくゆっくり出てきて

看護師 「落ち着いてこれに記入してね」

私    「は、はい。。」(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

看護師 「じゃ、体重、測るからこっち来て」

私    「は、はい。。」(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

看護師 「じゃ、陣痛室に行きましょうか(⌒ー⌒) ニッコリ」  
    
      「あっ、その前に聞いておかなくちゃ」

       何、聞かれるんだろう・・・ドキドキ(*・_・*)       

      「朝ごはん、パンとゴハンどっちがいい?」

私     「えっ・・・じゃ、ゴハンで( ̄_ ̄|||)」

もう正直、どっちでも良かった。

「そんなことはどうでもいいんだよ~」と叫びたいぐらいの心境だった。

いよいよ、陣痛室に行くことに・・・

スーパーの買い物カートに自分の荷物を乗せて

それを押しながら歩いて行った。。。
やはり現実は甘くない!

陣痛室はカーテンで仕切られてはいるが3人部屋。

分娩着に着替えてお腹にモニターをつける。

陣痛はまだきていないようだ。自分でもまだ痛みは感じない。

普通、陣痛の間隔が長かったり一度きた陣痛がおさまってしまったら

家に帰されたりするらしいが、私の場合(私に限らず破水した人みんなだけどね)

陣痛がこなくても破水をしてしまったので強制入院。

産むまで帰れません(笑)

でも、この時、実は陣痛がこなくてホッとしていた自分がいる。

まだ体験したことがない未知の痛み。。。「陣痛」

どんな痛みが襲ってくるんだろう?これに私は耐えられるのだろうか?

どんどん不安になっていっって、心の中で「もう少し待って」なんて思ってしまった。

今思えば、出産予定日1週間前だというのに

まだ心の準備が出来ていなかったのだろう。
情けない母です。。。


その思いがお腹の赤ちゃんに伝わってしまったのかもしれない。

それからいくら待っても陣痛は来なかった。。。

破水

里帰りをしても両親は働いているので昼間は1人。

「誰もいない時に陣痛きたらどうしよう」

でも、「陣痛」って経験したことないし、分かるかな?なんて考えつつも

足がちょっと浮腫んでいる以外は、体調もよかったので、

懐かしい地元をよく散歩したり、30分ぐらい歩いて買い物に行ったり

よく動き回っていた。

その日も、結婚式のブーケを作ってくれたお友達 I さん

ベビーバスのお下がりを頂くことになっていたので、

夕方、ダンナと共に車で取りに行った。

久しぶりに I さんに会い、嬉しくて外で立ち話をしてしまった。

40分ぐらいだったかなぁ?

その時に、こんな会話があった・・・

私   「予定日まで1週間ぐらいなんだけど、

     全然、産まれて来る様子がないんだぁ(*´∀`)」


I さん「大丈夫だよ!初産は予定日より遅れることも多いみたいだし」

私   「そうなんだぁ。」

I さん「(お腹に向かって)お~い、早く出ておいで~(*^-^*)」

こんなおしゃべりをして楽しいひと時を過ごして、気分よく実家に帰った。

いつものように、食事をし布団に入ろうとした時に、何となく

「今日は入院の時に持っていく物をちゃんとカバンに詰めよう」

と思って、持っていく物リストを見ながらカバンに詰めた。←ずっと後回しにしてたのに・・・

入院する際に書く書類があるが、面倒くさかったので「これは明日でいいや」

ということで布団に入った。

毎日寝る前にやっている実家に置きっぱなしだった懐かしいカセットテープの整理。

と言っても「何が入ってたかな?」って聴くだけだけど・・・。

テープを聴いているうちにいつの間にか寝てしまう。これがいつものパターン。

その日もいつものようにテープを聴きながらいつの間にか眠りについていた。


午前3時過ぎ・・・

何故かパッと目が覚めた。

おしりが冷たい。。。触ってみると濡れていた。

「うそ?(ー△ー;)エッ、マジ?!」

「おしっこ漏らしちゃったよ~。゜゜(´□`。)°゜。」

27歳でおしっこ漏らしたなんて親にも言えない。

よし!親が起きる前に着替えなければ・・・。

電気を点けて立ち上がり、トイレに行こうとしたその時・・・


ジャー!


Σ(゜ロ゜;)!!


こ、これは・・・


おしっこじゃな~~い!


もしやこれは??


破水だ~~!


(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


「お、お母さ~~ん、早く来て~~!!」

母がすぐに私のところにやってきた。

母「オォォーーー!! w(゚ロ゚;w(゚ロ゚)w;゚ロ゚)w オォォーーー!!ど、どうしたの?」

私「破水した!早くパットとパンツ持ってきて~」

母「分かった!お父さん起こしてくるから病院にいく準備しよう」


床一面びしょ濡れで、歩くたびにドバーッと羊水が流れ出てくる感じだった。

パットを替えても替えてもあっという間にびしょびしょになってしまう。


入院の準備を寝る前にしておいて良かったぁ・・・。

あっ!

入院の書類、書いてないじゃない!

急いで書類に記入する。。。

だけど、気が動転して簡単なことなのに何を書けばいいのか分らなくなる。

こんなに動転したのは今までの人生で初めてかもしれない。

何とか書類を仕上げ病院に向かった。

車の中で母に聞いた話だけど、私が破水した時、

母も何故か目が覚めて、「もしかして産まれるかも」と思ったらしい。

だから、私が呼んだ時、すぐに来た。

でも、破水してるとは思わなかったらしくて、床一面に広がった羊水を見て

かなり焦ってました。

破水する前は「破水」っておしっこと区別がつくのかな?

なんて思ってたけど、ちゃんと分かるものです。

あんなおしっこしたことないですから(笑)

Iさんが、「早く出ておいで~」と言ったとおり、早く出てこようとしたのかな?

何気ない立ち話が現実になってビックリしました(笑) 

里帰り

出産予定日は、平成15年12月5日。

病院では、「9月末に里帰りしてください」と言われた。

だけど、仕事が9月いっぱいまであるし、出産準備も出来てないし

母親学級だってまだ行ってない・・・。ということで、

9月末はムリ!

看護婦さんにその旨を伝えると、

「う~~ん・・・それじゃ、遅くても10月の半ばまでにはお願いします。」

その場では、「はい」と言って帰ってきたけど、

10月半ばも難しいだろうな。。。

でも、ウチから実家まで高速を使えば車で40分。コレでも里が帰りって言うのかな?

まぁ、帰っても両親は共働きだから昼間は、結局、私一人だし。。。

「何とかなるだろう」なんて勝手に考えて

「11月のはじめに帰ろう!」と勝手に決めていた私。

10月の平日は、ひたすら掃除をし、

休日は、赤ちゃん用品の買出しや両親学級に出席したりと忙しい日々だった。

でも、「○日に帰ろう」と決めてもなかなかその日までに準備が整わず

延期、延期で結局、帰ったのは11月23日。。。

予定日12日前だった_| ̄|○

でも、その日に帰って本当によかった。。。

だって、その1週間後、
出産だったから・・・( ̄ー ̄; ヒヤリ

初☆専業主婦

16歳で初めてセブンイレブンでバイトをした。

それ以降、常に何らかの仕事をしてきた私。

時には2~3箇所、バイトを掛け持ちしている時期もあった。

もちろん、結婚してからも働き続けた。

結婚後は、『妊娠したら辞めるぞ~!』と思っていたが、

なかなかその日は訪れず・・・

2003年 春、やっとその日がやってきた。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

当初、前々から思ってたように『妊娠が発覚したからすぐ辞めよう』としていたけど

経済的にも厳しかったし、仕事も楽しかったので妊娠9ヶ月の初めに辞めた。

これで、念願の人生初の「専業主婦」になれたのです

"d=====( ̄∇ ̄*)bイエーイd(* ̄∇ ̄)=====b


さぁ、あとは赤ちゃんのことだけを考えてのんびり過ごそう!と思っていたけど、

現実は、そんなに甘くないものです。。。

仕事を言い訳にサボりにサボりまくっていた掃除・・・

足の踏み場もないほど部屋が汚れていたΣ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン

記念すべき専業主婦1日目は『掃除』で終わった_| ̄|○

1日で掃除が終わるわけもなく(どんだけ汚れてたんだ?)

ダラダラと3週間ぐらいかけて 掃除と赤ちゃんを迎え入れる環境を整えた。
掃除も終わり、これからのんびり読書でも・・・なんて思ったときには、

すでに里帰り1週間前。。。。

結局、『専業主婦生活』を堪能できたのは1週間だけだった。

それからは、出産、育児と忙しくなり「のんびり」なんて過ごせない。

『専業主婦』って私が思い描いていたものとは、

全然、違って結構忙しかったりする。

働いている時は、

『専業主婦なんて暇でいいなぁ。 
 子育てが大変って言っても仕事に比べれば楽なんじゃないの?』


なんて今考えるととんでもないことを思っていた。大いに反省...

子育てもやってみないと分からない。

行きたい時にトイレにも行けなかったり、

食事だって食べたい時に食べられるわけじゃないし、

どんなに眠くても寝られない。


子育ては「大変」とは思っていたけど思った以上に本当に大変で、

自分の時間がないことがこんなにもストレスになるんだねぇ。

だけど、「専業主婦」になることは、

ある意味、小さい頃からの「夢」だった。
(将来何になりたい?の質問に「お母さん!」と答えたことはないんだけど 笑)

私の母は、私が幼稚園に通う前から働いていた。

小さい頃は、祖母に育てられ小学校1年生の時に祖母が他界してからは

ずっと、鍵っ子だった。

当時、働いているお母さんは非常に少なくて友達の家に行くと

必ずお母さんがいた。

それがすごく羨ましくて、友達の家に行くのが嫌だった。
(母が働いていることを批判されたこともあるからかもしれないけど。)


すごく寂しかったけど、幼いながらに母に気を使ったのか

「寂しい」とは言ったことがなかったと思う。

でも、その頃からずっと心に決めていることがある。

それは・・・

「自分の子どもには絶対にこんな思いはさせない」

ということ。

今、経済的なことを考えると私も働くべき時なのかもしれない・・・

当時と違って今は働くのが普通になっている。

けど、子どもはまだ1歳。。。

まだまだ一緒にいてあげたい。

私が小学生の頃からずっと変わらず心に決めていたことを成し遂げたい。

でも、コレってわがままなのかな?

妊婦検診

妊娠から出産まで定期的に通う『検診』。

妊娠が確定するまでは2週間に1回。

その後、初期は1ヶ月に1回、検診に通った。

3ヶ月ぐらいまでは、毎回、内診があって膣に入れる超音波の機械で検査した。

中期に入ると内診はなくなり、尿検査と腹囲、子宮底、血圧、体重の計測となる。

転院前の病院では、お腹の上からの超音波検査は、出産までに3回しかしない。

9~13週の時、18週~20週の時、28~31週の時、それぞれ1回づつ。

コレって普通?

私は、最初はここしか知らなかったので、「こんなもんか」と思っていた。

が、転院してやっぱり少ないのかなぁと感じた。←ヒゲ先生、怒ってたし・・・。

転院先の病院で初めて診察を受けたのは24週の時だった。
(21週で予約の電話をして、実際に予約が取れたのは、3週間後・・・)

その時点で2回しか超音波を受けていない。

転院先では2~3週間に1回超音波検査を受けた。

やっぱり、妊婦の気持ちとして

直接、赤ちゃんを見せてもらえるのは嬉しいし、安心する。

そして、臨月になると毎週検診があり、内診も復活した。

男の先生だからなのか?ヒゲ先生だからなのか?臨月の内診だからなのか?

とにかく痛い!

思わず足を閉じてしまって、毎回、ヒゲ先生

「力抜いて足開いて」怒られていた_| ̄|○

すごい痛さで「ここで破水しちゃうんじゃないか?」と怖くなるくらい。

最初は、女の先生の内診を受けていたので、

男の先生の内診恥ずかしいしなんとなく嫌だなぁと思っていたけど

転院する頃には、恥ずかしさも消えていたので

男の先生でも女の先生でもどちらでもよくなっていた。

男の先生の内診も1度受けてしまえば、

案外、何とも思わなかったりする(笑)


尿検査は初期から出産までずーっと続いた。

ほとんど異常が出たことはなかったが、1度だけ『糖』が少し出たことがある。

ウッ!ヤバイ(@゜▽゜;Aアセアセ・・・

ヒゲ先生「少しだから大丈夫だと思うけど・・・甘いものは控えてください」

「・・・」には何が含まれているんだろうか?

そして、検診の帰り道、必死に考えた。。。

「どうして糖が出たんだろう?どうすればいいんだろう?」


そして、思いついた!キット、アレダ!


検診30分ぐらい前に

「いちごのカキ氷」を
食べたんだった_| ̄|○



少しだから大丈夫と油断していた。。。イカンイカン

その後は検診の前には、水しか飲みませんでした(*^-^*)

そのお陰か?それ以降、が出ることはありませんでした。ヨカッタヨ~!  

それから『体重測定』も出産まで続く。

もともと太かった私・・・。

体重が増えすぎないように気をつけていた。

ヒゲ先生の最初の診察を受けた24週の時点で2.5kg体重が増えていた。

自分では抑えたつもりだったのに、それからの検診では

毎回、母子手帳に

「カロリー・塩分・水分制限」

というハンコを押された_| ̄|○

正直、ショックだったけど『妊娠中の体重管理は大変』と聞いていたので

みんなこんな感じなのかな?仕方ないかと思っていた・・・。

でも、ヒゲ先生、37週の検診の時に気づいたらしい・・・

私の妊娠前の体重に!

ヒゲ先生、いつものようにハンコを押そうとした時に

ふと、目に入ったらしい私の体重変化のグラフ。

Σ( ̄ロ ̄lll) マ、マジ?←ヒゲ先生

カルテをめくり、最初の体重と今の体重を何度も見比べて

ヒゲ先生が思ったほど体重が増えていない事に気づいた。

その日の検診からあのハンコは押されなくなった。

と言っても、その後の検診は38週が最後だったので

ハンコを押されなかったのは
2回だけ_| ̄|○


結局、出産までの体重増加は7kgだった。

制限のハンコだらけの母子手帳。。。息子に見せられないよね(笑)

妊婦検診・・・

通うのは大変な時もあったけど、楽しみでもあった。

お腹の中の息子と会える日と思うとワクワクした♪

お腹の中の息子が元気であることを確認できたり、

自分自身の体の異常も確認できるということは、とても安心できる。


ヒゲ先生「そんなに来ないでくれぇ」と言われそうだけど

出来ることなら私はもっともっと、頻繁に検診を受けたいぐらいだった。
(特に初期は不安で仕方なかったので、毎日、心音だけでも聞きたかったなぁ。)

ただし、料金がもっと安ければだけど( ゜▽゜;)アハッ
(転院前は1回5000円、転院後は1回3000円だったから安いほうかも知れないけど)

が出た時以外は、『順調です』としか言われない

順調すぎるマタニティライフだった。

胎教

『胎教』=『クラシック』というイメージがあるのは私だけでしょうか?

自分が妊娠するまでは、そう思っていた。

でも、実際に自分が妊娠して色々調べるようになると、

『胎教』=『クラシック』というイメージは無くなった。


お腹の中にいる時にしかしてあげられない事、

お腹の中にいるからしてあげられること
・・・ってないのかなと考えた。

う~ん、なんだろう?

我が子が『元気』に産まれてきてくれればそれでいいと思っている反面

欲が出て、どんな胎教をしたら『天才』になるかしら?なんて考える(笑)

きっと、親ならば1度は思ってしまうのではないでしょうか?私だけ?


とりあえず、たまごクラブの付録のCDを聴いてみた。

・・・穏やかなメロディなのに落ち着かない。しっくりこない。

次に大好きなバンドのCDを聴いてみた。

・・・おぉ!これよ、コレ!!気持ちだけ青春時代にタイムスリップ!

とっても楽しい気分になれる。


お腹に話し掛けるのもいいらしいので、話し掛けてみた。

でも、最初は、うまくいかない。なんて話し掛ければいいのよ???

『きれいなお花が咲いてるよ』←なんか気持ちが入らない。

『産まれて来たら一緒にコレ食べようね』←食いしん坊の私にはお似合い

だんだん慣れてくると歩きながら無意識に話し掛けてることもあった。

すれ違う人は、みんな振り返る。

確かに、1人で笑いながら話してたら怖いよね(笑)

『赤ちゃん』はお腹の中でもちゃんとお母さんの話を聞いてるみたい。

私は28週ぐらいの検診で『逆子』と言われた。

それから毎日、お風呂の中で

『頭と足の場所が反対だよ。(お腹を触りながら)
 
 こっちが足だよ~。こっちが頭だよ~』


と言い続けた。

そのお陰かどうかは分からないけど

次の検診では、逆子が直っていた。

そして、それ以後、逆子になることは無かった。

胎児ってすごい!

これには、本当に感動したのを覚えてる。

たまたまだったのかもしれない。

でも、もしかしたら私の言ったことを分かってくれたのかもしれない。


そして、本には書いてなかったけど、私はよく笑った。

特に働いている時は、みんなとおしゃべりして

毎日、大笑いさせてもらっていた。カンシャ!カンシャ!

そのお陰かどうかは、分からないけど

産まれてきた息子はよく笑う子だった。


月齢の低い頃からニコニコと本当によく笑ってくれた。



結果、私が胎教としてやったのは

1.クラシックに限らず自分の大好きな音楽をたくさん聴いた。

2.ひたすらお腹をなでた。

3.できるだけ話し掛けた。

4.笑いまくった。

5.自分が楽しめることをどんどんした。


これぐらい。。。

とてもとても『胎教』なんて胸を張って言えるものではなかった_| ̄|○

結局、『胎教』ってお母さん自身がリラックスできたり

楽しく過ごせる事が大事なんだなぁと思った。

転院 その3

紹介状を持って都立病院に行った。

総合病院だけあって、予約していたにもかかわらず1時間も待たされた。

ようやく呼ばれたと思ったら、

診察ではなく看護婦さんによる事情聴取(問診?)だった_| ̄|○

それから20分後・・・やっと診察。

診察室に入ると男の先生。。。

実は、電話で「女医さんがいい」と言ったけど

「女の先生はもう予約がいっぱいで無理です。
 男の先生でよければ診察して受け入れるか検討できますけど」



ってことで受け入れてもらえるかさえ危うい私に選択の余地はない。

産婦人科で初の男の先生ということでかなり緊張(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル 

ちょっと若めで背が高くて、ヒゲぼうぼうで目が大きい先生。

愛想はない。。。怖い先生なのかなぁ?

しばらく紹介状を見てしゃべらない。。。


・・・・・・・(*・_・)・・・・・・沈黙


何?どうした?悪口とか書いてあった? \( ̄∀ ̄*)ンナワケナイダロ!


先生「血液検査とかしました?」


私 「はい、初期に・・・」


先生「最後に超音波見たのはいつですか?」


私 「18週の時です。」


先生「・・・・@(-。-) ハフゥ~ 」←どう見ても怒ってます


た、溜め息だよ。受け入れてもらえないの?


先生「紹介状もらったけど、血液検査の結果がちゃんと書いてないんですよ。」
  
   「これじゃ、経過が全然わからないんで、血液検査も含め
   
   全ての検査をやり直します。

   
「超音波も18週が最後?う~~ん・・・┗(;´Д`)┛ハナシニナリマセン」

えっ?も、もう一回、全部やり直しって言った?? ガーン・・・Σ( ̄Д ̄lll)・・・・

私  「・・・よろしくお願いします」 


先生「じゃ、ガンの検査とクラミジアの検査しますから

    内診台に上がってください」


私 「はい」


内診も無事終わり。。。


先生「後は、今日、血液検査をして超音波はあさってしましょう」
  
   「それじゃ、分娩の予約をして帰ってくださいね」

(超音波は別に検査室があるので、検査できる曜日が決まってるらしい)


私 「はい、ありがとうございました。」


というわけで、受け入れは電話で言われたほど大変なものでもなく

こっちが拍子抜けしてしまうくらい
すんなりと受け入れてもらえた。ラッキ~!



しか~し

  

前の病院で2万円近くかけて行った検査が

全部無駄になった_| ̄|○

自分のところで産まないからってそこまで冷たくするかなぁ・・・ショック


また2万円近くかけて痛い思いして全ての検査をやり直したのでした。

これで、無事?出産する病院が決まりました。

これから出産まで、ヒゲ先生を信じて頑張っていくのでした。                             

転院 その2

強引に転院先で検診予約をした私。。。

次に必要なのが、今、通ってる病院からの紹介状。

検診の時に紹介状を書いてもらえるようにお願いした。


先生「病院決まったの?良かったわね。」

私 「でも、受け入れてくれるかはまだ分からなくて、
   診察してから決めるって言われたんです(- -;)・・・・・・」


先生「都立病院ってそういうところがあるのよね。
    ダメだったら戻ってらっしゃい。」



おぉ!心強いお言葉。アリガタヤ~アリガタヤ~


私 「ありがとうございます。」


先生「じゃ、今日で終わりね。」


私 「???」


里帰りまでここで検診受けるんじゃないの??


先生「受け入れてくれたら次の検診から
   もう向こうの病院で診てもらいなさい。
   お産は信頼関係が大事だから早く移った方がいいわよ。」
 


私 「は、はい。。。」


里帰り(臨月)まで診てもらおうと思っていた私は、

ちょっと納得いかないけどまあいいかって感じで女医先生とさよならしました。


今思えば、とっても人気で混んでる病院だったから、

「ウチで産まない人は早く出て行って!」

って事だったのかなぁと思う。

(結果的にも早く転院してよかったのだけど。。。)

紹介状ももらったし、これで安心。

後は、転院先で受け入れてもらえることだけを祈ろう。。。

が、この紹介状がひどいものだったことを後で知ることになろうとは。。。

転院 その1

バタバタと結婚式も終わり、やっと腹のお赤ちゃんのことを考える時間が出来た。

私は、今住んでいるところの近くの産婦人科で検診や検査を受けていた。

と言っても、自宅から3駅ほど離れたところにある病院。

そこには、女医さんしかいないのです。

私は、最初に産婦人科に行くのって結構、勇気がいるものでした。

そこで、わざわざ女医さんがいる病院を調べて行ったわけです。

妊娠が判明した頃、

「女医さんだし、里帰りしないでココで産もう!」

と思っていました。

それをに伝えると


「 w(*・o・*)wハッ??」


「アンタ、そんなの無理に決まってるでしょ!」


「こっちに帰ってきなさい。」


とのこと。。。

考えれば、「私は、なんてお産をナメてたんだろう」と思うけど、
その頃は、「何で里帰りしなきゃダメなの?」程度にしか考えてなかった。



悩んだ末、結局、母の意見に押し切られ里帰り出産をすることに・・・。

まぁ、里帰りと言っても千葉から東京なので・・・(^-^;

それに伴って、転院しなければならない。

実家近くで産婦人科を探したが、通いたい病院は1つしかない。

そこは、都立の総合病院でした。

転院の手続きをしようと電話してみた


私 「あの~、現在妊娠21週なんですが、実家がそちらの近くなので、
   そちらで出産したいと考えているんですが~」



病院「21週ですよね?ウチでは、15週までに診察を受けて分娩予約をして頂かないと、
    ココでは産めないんですよ。」



私 「・・・Σ( ̄ロ ̄lll)」

私 「え?どうしてもダメなんですか?今までの検診では何の問題もありません。それでもダメですか?」



病院「でも、予約もいっぱいだし無理だと思います。」



それでも必死で食い下がった。


私 「実家から自力で通えるのは、そちらの病院しかないんです。」



私 「そちらで産めなかったら、私はどこで産めばいいんですか?」


もう逆切れです。。。メラメラ~(炎_炎)


病院「う~ん・・・○○病院とか△△病院はどうですか?」


私 「遠くて通えません。」←キッパリ!


病院「う~ん・・・じゃ、ちょっと産婦人科につなぎますからお話してみて下さい。」


私 「はい!」


希望の光が見えてきたぁ~~~!p(*゜▽゜*)ガンバッ!


産婦人科「もう21週ですよねぇ?15週までに・・・」


私 「でも、15週までというのは知らなくて・・・ココしかないんです!」

私 「何とかお願いします」


産婦人科「では、とりあえず一度、診察に来てください。」

産婦人科「でも、分娩予約が出来るか分からないので、診察してから決めましょう」

私 「分かりました。ありがとうございます。」


こうして何とか強引に診察をしてもらうことになった私。。。


自分でも驚くほどのパワーで押し切った!


実際、先輩ママさんに「里帰りする病院はいつ行けばいいの?」と聞いたら

「中期頃に1回診察に行って、あとは、里帰りするまで行かなかったよ。」

と教えてもらっていたので、

かる~く考えていたら甘かった_| ̄|○


やっぱり、自分でちゃんと確認しなきゃダメだね(・_・ ) ( ・_・)


今から里帰りの予定のある方は、

早めに病院に確認しましょ~う!